白滝の鉄道史 2012.10.01 (月)


北海道に 本州から開拓者が団体で入植してまだ100年とすこし

白滝地区も開基100年を迎え
開基と同時に開校した白滝小学校でも 開校100年式典が行われました
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小学校の校庭の隅に埋められていたタイムカプセルを式典に先立ち 卒業生や教職員・PTAで発掘
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カプセルの中にはたくさんの文集に絵画・当時の子どもたちの宝物・テスト・教科書ノート・グローブにバット
たくさんの写真が保存状態良く収められていて
鉄道の写真はないかと探してみたら
昭和30年代の修学旅行や行事をおさめたアルバムの中に いくつか発見できました

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まるで集団就職の様な 修学旅行のお見送り
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転校していく友達をのせた96が行く
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列車があるっていうことは 特別なこと
列車に乗るっていうことは もっともっと特別にすごいことだった

特別にすごい素敵なこと いま2012年にはある?

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写真の中の子どもたちがちょっと得意げにいうから
ちょっとうらやましくなった


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白滝の鉄道史 2012.03.14 (水)


旧白滝を特急が行きます

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昔も今も 


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↑向こうを行くキハ82
おおとりかオホーツクかは不明、撮影年月日の記載のない写真ですが
昭和39年以降のものであることはまちがいないようです





今年ムラ・白滝地域は開基100年
ムラの歴史を整理する作業に少々参加させていただいて
ムラの郷土史研究家のお方が収集されたお写真を拝見する機会がありました


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上の写真は 昭和25年5月 白滝駅にて
遠軽機関区白滝分区給水炭所 職員の皆さんの記念撮影  


昔 白滝駅には給水炭所 転車台 25パーミルの北見峠を越えるための補機のSLが2機常駐しており
貯木所もありました
広い広い構内と たくさんの鉄道職員の 大きな駅でした


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↑ 奥白滝駅(職員さんの後ろに駅名標)
↓ 上白滝駅(うしろの建物が駅舎)

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今よりもっと雪深い奥白滝駅構内を除雪する汽車は 圧巻 ↓

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ちょっと残念なのは こういった勇壮なきしゃの写真が少なかったこと、駅そのものの写真も少ないこと

元国鉄職員のお方なら写真持ってるのかもしれませんが
ムラの生活者にとっては 鉄道はそれこそ生活の一部で特別視するような存在ではないのでしょう
ほんの少ししか鉄道写真は残っていません


※ムラの昔々の鉄道の写真をお持ちの皆様、写真募っております!
 とくに 開設当時の白滝駅の駅舎の写真 募集中です 





ムラの未来と希望を背負った鉄路を開削した 先人の夢をのせ

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今日も特急が行きます


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このキハ183系も もう大ベテランですね







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佐野元春氏のメッセージ→それを「希望」と名づけよう

震災被災水族館・動物園支援→こちら(旭山動物園HP内) 

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thanks♡
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白滝の鉄道史 2009.07.30 (木)
連日の雨で水位が増し、濁っている
「白滝」
水しぶきがかなり高くとぶ
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水を含んで
緑色が濃い
車両までがしっとり
周囲の葉っぱから、強い風と一緒に水滴がとぶ・・・・雨みたいに。つめたいんだ、これが。
この風は、もうすぐ雨の合図。風が突然止んだら、夏の雨が降る。
ニセイを渡る、ポロ・ソウの風、霞。 
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白滝14時33分発
遠軽着15時10分
しもしらあたりは42分に通過する

キハ40


ここの龍神さん(下白滝神社)、ダムの立ち入り禁止区域内
上からはほこらの屋根しか見えないけれど
水の恵みと、水の事故の、両方へ思いを寄せ、穏やかな日々を祈ります


大切な方と、それに繋がる大切な方々に、豊かで実りある幸せな日々がありますように

感謝をこめて

白滝の鉄道史 2009.07.07 (火)
今日の 「白滝」。
今日は夏日、もう夏の景色。
湧別川の流れが穏やかで、水位も安定しています。
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白広線とは?

白滝村史の最後に書かれていた、未成線にもならなかった遠い幻の鉄道路線のこと。

そもそも「はっこう線」(薄幸・・・・)なのか、
「しらひろ線」なのか、読み方はなんなのかもよく分かりません。
白滝から十勝三股・上士幌経由、帯広までを結びたかったから、白広線。
実測はされていたようです。


白滝村史より 一部文章を抜粋しますが、

「石北線全通に気をよくした遠軽町民は勢いをかって、
 白滝~上支湧別~十勝三股~上士幌~帯広 を結ぶ、仮称「白広線」鉄道建設に
 意欲を燃やし」たそうです。

 実地調査をして、関係本面に働きかけを行う方針を、遠軽町会で話し合われました。

 しかし、隣の上川町が、上川~層雲峡~十勝三股線の鉄道敷設の運動を起こし、
 (もともと大正11年制定の鉄道敷設法の予定路線だった。)踏査も実測も終了していたため、
 遠軽町会議員は多く慎重論でした。
 そんななか、支湧別選出の町会議員のかたが、業を煮やし、
 発起人となり、白滝地区から有志を募り、十勝踏破隊を結成。16名により、
 昭和8年6月、支湧別を出発しました。

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経路は、

上支湧別~小滝ノ沢~上川町境~ニセイチャロマップ川 (一日目)
~石狩川~ユニイシカリ沢~十勝国境 (二日目)
~十勝三股~音更川沿い林道~糠平温泉入り口付近 (三日目)
~上士幌



一行は、上士幌役場で調査報告をし、列車で帯広経由旭川に行き、旭川鉄道建設事務所に行き、
この調査の実情を訴え、この白広線の請願をし、村に帰ってきました。
が・・・・・・残念ながら、戦争が長引き、大戦も勃発し、この計画は立ち消えます

村史には、仮にこの鉄道が開通していたならば、

「鉄道に沿って道路もできていたであろうし、産業に観光に必須の要路として脚光を浴び、ますますおらが村も飛躍し、今日見られる過疎対策もおよそ縁のないものとなっていたであろう。・・・」

と、「過去の夢」に思いをはせています。




・・・・無理無理。
残念ながら、この「鉄路を通す夢」も「通っていれば栄えただろう・・」思いも、
いくらなんでも、「それはありえないだろうなあ(汗)」と思わざるを得ません。


白滝からつなげようとした 十勝三股~糠平~上士幌 間の「士幌線」は、昭和14年開通。
十勝三股の豊富な森林からの原木輸送が目的で、全国屈指の木材生産地でした。

しかし、鉄道開通の夢を悔やむ白滝村史が昭和46年に刊行されてからほんの数年後、
自動車社会の波に押され、ここにあった製材工場も上士幌に移転して、働き口を求めて人口が流出。

昭和52年には糠平~十勝三股の一日乗客数は6人。この区間は駅やレールはあっても汽車の来ることのない、全国初のバス代行運転となったのでした。
かなり有名な話です。(十勝三股の喫茶店は、今もまだある)

昭和63年赤字ローカル線、士幌線は廃止。
今はむしろ廃線跡のコンクリート橋梁の跡が有名ですね。

当時は白滝も立派な営林署があり、森林資源を産業にしており、それで白滝の各駅も構内が広く栄えてもいたようです。
林業に対する国の政策は変わり、石炭と森林資源で発展していた鉄道や町は弱っていきます。
十勝三股と白滝が違ったのは、白滝は大きな本線の通る町だったことかな。

白滝から「白広線」が通っていたとしても、通したとたんやはり廃止の一途をたどっていたことでしょう。



北海道にはかつてこんな無茶な路線の計画がいっぱいです。


本日の白滝をもう一度。
白滝(ポロ・ソー)は涼しげ。
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白滝の鉄道史 2009.06.03 (水)
・・・その後のルペシペ・・・
   
   石炭の変わりに 石油がエネルギーとして使われるようになり、
   森林資源も伐採を禁止し保護にまわり、
   国の政策の転換によって、炭鉱鉄道や森林鉄道はおとろえていきました。
   これらの資源を産業としていたマチも人が減り、衰えていきます。
  車社会になり、鉄道で物を輸送する必要がなくなりつつあります。
  貨物も旅客も減り、鉄道の存続は危ぶまれ、たくさんの廃止路線を生みました。

  昭和54年当時、4000キロあった北海道の国鉄線は、
  昭和62年JR北海道に代わったときには2600キロになっていました。

  今、新しい道路が、中央道路と石北本線に沿う場所に、作られています。
   「旭川紋別自動車道」が建設され、一部開通。
   あの北見峠には、長い長い「上北トンネル」(北大雪トンネル)ができました。

トンネルの石。玄武岩質らしい。トンネル開通の時の石なので、貫通石、と名付けられている。
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   あんなに険しくきびしいワインディングロードも 、一直線に走り抜けます。
  現在の技術はすごい!あの北見峠のぐにゃぐにゃを通らなくてもいいなんて、
   冬の峠を越えるのは怖いでありがたいです。
   ですが、北見峠の中央道路開削殉難碑は、人に忘れられていきます。 
 

    道央道からつづく、旭川北からの無料の高速道路は、上川まで続きます。、
    上川から上川天幕(上越付近)まではまだつながっていなくて、工事中で、
    中央道路そのままの道筋の国道から、天高く道路の橋梁、橋脚がのぞめます。
    道路沿いには上川側の「ルペシペ」・留辺志部川の、澄んだ流れが見られます。
    途中、旧 中越駅、現 中越信号所も通ります。
  
    上川天幕から、上北トンネルを抜けるとそこは白滝です。
    トンネルに入る手前、石北本線の上越信号所のシェルターが望めます。
    トンネルを抜けたら奥白滝、上白滝の風景が下に見ることができます。
    このトンネルの工事に、石北トンネル工事に携わった当時の地元企業が、
    やはり共同事業者として携わっています。

   平成8年 11月、トンネルは貫通。
    この道路の下や脇は、白滝の遺跡がたくさん出たところです。
    工事中に、とにかくたくさん出土したようです。

    白滝PAは道の駅しらたきです。特産わさびそば、白滝はそばも多く畑作してますが、
   たずねてくる鉄道ファンにはカレーライスが人気なのだそうです。
   白滝インター(アイカップ付近)で一度降りたら、下白滝でまた乗り、
   丸瀬布で今のところ終了。

    高規格道路は、丸瀬布から遠軽、最終目的地は紋別だそうです。


・・・その後の白滝の鉄道は・・・

  平成19年4月に高速道路 丸瀬布~下白滝間が開通しています。
   時間的には白滝から遠軽に行くのに5分程度の短縮でしかないですが、
   ちょっと前には落石があって通行止めになって困ったそうですし、
   この道路以外には白滝からでられませんので、道路がもう一本あって、安心です。

    白滝~下白滝間は現在工事中。やっぱり遺跡が出土しています。
   旧白滝駅の目の前には、旧白滝墓地が高台にある、畑ばかりの静かなところでしたが、
   コンクリの橋梁がたち、工事車両が頻繁に通り、ほこりっぽいです。
  それを苦々しく思う鉄道ファンやバイクの訪問者がいるようですね。

  この道路のおかげで、白滝から旭川に一時間ちょっとでいくことができます。
    遠軽から旭川が全部つながったら、遠軽~旭川間は今までより1時間ほど短縮される
   そうです。遠軽方面と旭川方面と、とても行き来・輸送が便利になりました。
    でも白滝~下白滝間が通ったら、白滝に降りる車は減っていくかもしれません。
  
   それはつまり石北本線を通る貨物列車の終わりを意味する?
   石北本線の廃止・・・も目の前か?
   本線廃止とならなくても、白滝シリーズの終焉が近づくのかもしれません。
  
   いまや一往復のみとなった秘境・上白滝駅だって当時は木材の運搬や貯蔵で
   大きな構内を持っていましたが、林業や木工業の産業はいまは小規模です。


奥白滝から望む、赤石山方面。かすんでいますが、まん中の岩肌の、横に入っている黒い筋は黒曜石の露頭。
周囲は、森林伐採のあとの植林が目立ちます。
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   北海道に廃止路線が多いのは、鉄道と密接だった北海道の地域産業が、
   国の政策と直結していたという、これまでの歴史があり、
   政策が変われば必要とされず、置き去りになってしまったせいでしょうか。
   鉄路は赤字となり、公共交通機関である鉄道のない町の価値は下がります。
    (少なくとも、鉄道ファンという観光資源は来なくなります)

  JR北海道の現・副社長が新聞でおっしゃっていました。
    「だからといって深い歴史のある鉄道をなくしていいというわけではない」と。
  北海道は本州と違い、道を作って和人が住み部落ができ、
  そこに鉄道が敷かれてマチになった歴史があるからです。

DMV。釧網本線 小清水駅にて。
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  DMV(デュアル・モード・ビークル)の開発責任者であり、尽力し、試運転ながら  
  運行にたどりついた副社長の思いに、ローカル沿線の住人は期待しています。  
  たとえばDMVの持つ特異性、注目度を、白滝地区に取り入れたとき、
  豊かな深緑と誇れる雪・公共交通の直結がないスキー場・歴史ある鉄道・高速道路   
  ・・・考えてみる価値ありでは?
   鉄道のマチをアピールするだけでかなりのファンが来ると思うのですが。

心配そうに見る、JRの人たち。この前の週に、脱線をしていたので、副社長まで来ていて、緊迫した空気の中、試乗。
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車窓から見た、藻琴駅。ここから車体は線路から道路に行きます。運転手さんもJRのひとから網走交通の人に変わります。
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道路にでています。
あくまで列車なので、車としてのサスの具合が・・・どうにも堅かったです。
今はどうなのでしょうか。
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北見駅の、貨物。これから常紋、遠軽、白滝、北見峠に行って、旭川を目指す。
この貨物もいつまであるのか・・・でも、空は青く明るい。
今は時に馴染み与えられた仕事をこなす。そんな姿の車両です。
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