舌がんのこと 2013.12.06 (金)
某大臣が舌ガンだと公表したのをニュースで見て
pc画面開いてもその文字が目に入ってきた
久しぶりに見た
いや いつも知人のブログでも自分のブログでも見てる文字だったけど、いわば公(おおやけ)で
本人やその周辺以外の場所でこの文字を見るのは久しぶりだなあ と



その某大臣の記事読んでて 舌ガンとは 、みたいなサイトへのリンクもあるだろうと思ったら
やっぱりあった それが  これ


舌ガンは早期治療できれば生活もかえることなく、そんなこわくはないので 
報道されている通り仕事への復帰は出来るだろう ただし 大臣さんの仕事がどんなのかがわからないけど
夜寝て朝起きるていうことができないようなら やっぱり辞めさせてあげた方がいいんでないかと思う

記事読んでたら 13年前のダンナの舌ガン治療と それからいままでのことがよみがえってくる
ガンはガンでも 舌のガンはいまでもマイナー
とうぜん一般人に知識なんかない 異変を感じてもそれはガンであるなんて思いもしない
当時 PCで何か調べるなんてことはぜんぜん主流じゃなかったし
PCは立ちあげるだけでものすごく遅くって
ケータイも持ってる人がほとんどいない頃 もちろん スマホなんてものはないそんな言葉すらない頃
なんとか本屋で何かを探してどうにかする程度
あのとき このサイトがあったらなあ 患者同士こうしてブログでやりとりしたり
調べられる状況にあったらなあ と つくづく思う




もっともっと 苦しんでる人がいて
もっともっと 生きようとしてる人がいて

なのに寄り添えない 隣人にさえなれない そんな自分のはがゆさ 情けなさ 心の及ぶ範疇の狭さ いたらなさに ほんとは言葉なんてなんのチカラもないんだけど



舌がんのこと 2013.02.19 (火)






”おとなというものは、数字が好きなのです”




”そんなわけですから、
 <王子さまは、ほんとにすてきな人だった。にこにこしていた。ヒツジを欲しがっていた。
 それが王子さまがこの世にいた証拠だ>・・・・・・・などといったら、おとなたちは、あきれた顔をして、
 <ふん、きみはこどもだな>というでしょう。だけれど、
 王子さまのふるさとの星は、B-612番の星だと言えば、
 おとなの人は、<なるほど>といった顔をして、それきり、なんにもきかなくなるのです>




”だけれど、ぼくたちには、ものそのもの、ことそのことが、たいせつですから、
 もちろん、番号なんか、どうでもいいのです。ぼくは、この話を、おとぎ話みたいに、はじめたかったのです”


                                  

                                 サン・テクジュペリ 「星の王子さま」






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(D51は 数字だけじゃない憧れやおとぎ話もあると思う長男撮影)







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舌がんのこと 2012.08.12 (日)



オホーツクには乗って帰りませんが このきしゃの行き先が私の故郷

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お盆休み ちょっとだけ帰省します

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お盆開けたらいよいよ石北臨貨の運行開始だそうです (ちょい鉄おやじ様の情報 ^^ )

石北臨貨の先行きがどうとか言われてますが 
自分自身のこの先だってわかりません 

ただただ 今季また会えることを楽しみにしてます





みなさまに穏やかなお盆でありますように

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舌がんのこと 2012.02.14 (火)
ムラから車で20分のコンビニで 用事を済ませる前のほんのちょっとの時間に


「もうすぐ来るはずだから 見たいな」という 時刻表が頭に入ってる次男と 
駅に立ち寄って きしゃを見に

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この日も 道央方面はどか雪
ノースレインボーは10分遅れで到着


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見つめる息子の眼ときしゃ横顔の この風景
何度見てもいい これが好き


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車掌さんと なにやら話し込んでおりました
聞かれる前に個人情報ダダ漏らす次男 
たぶん 名前と学校名と学年と いまかけ算に夢中なことを話しただろうと推測されます


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穏やかに
きしゃを見る息子をみていられる


いま こうして在ることの なんて幸せなこと


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丸瀬布駅にて


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「三陸鉄道」と「ひたちなか海浜鉄道」を支援する写真集→「つながれソウルトレイン」

こちらの絵本も 収益の一部は震災の義援金として寄付されます→新幹線のたび ~はやぶさ・のぞみ・さくらで日本縦断~

GACKT氏の被災地訪問記→GACKTの車窓から~東北編

震災支援→SHOW YOUR HEART!

佐野元春氏のメッセージ→それを「希望」と名づけよう

震災被災水族館・動物園支援→こちら(旭山動物園HP内) 

「見せましょう、野球の底力を!」by 嶋 選手 (東北楽天イーグルス) at 2011/4/2札幌ドーム 

thanks♡
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舌がんのこと 2009.04.24 (金)






今朝ダンナの歯が抜けたという。
歯はつやつや元気なのに歯の下の骨の部分が、まるでカーリングのブラシのようになってる。
歯のあのM字のような部分が。放射線による壊死。
来週こちらの主治医と信頼できるいつもの歯科医にもう一度診察してもらい、
あらためて来月「都会」の主治医のいる大学病院へ。
おそらく、対症療法的に、留め置き、夏休みに再再建手術をすることになるだろう、とのこと。
昨日の診察のあと、今朝のこの連絡。

なんせ、食べられない、しゃべれない。今日もそれでも学校に行き、授業をするダンナ。

再建といっても、もともと最初の手術で左の歯と一緒に骨は取ってしまっているから、入れ歯といってもそれを支える骨がないので、どっかから骨か金属か何かを顎のなかにくっつけて云々。
それも、有効かどうかは分からない。
なんせ、あまり例がないらしい。やってみて、だめなら、また考えるしかない。
この先もきちんとしゃべれる保証はないし、食べられる保証はない。
ということは、教師としての仕事ができる保証もない。
いつまで、自分はこうして生きていられるか、と、つぶやいたりもする。
まあ、教師ができなくなったら、ジオパークか何かの関連で引き取ってもらうしかないけどね~
って、笑ってみたりもするダンナ。
・・・本気じゃないくせにね 引き取ってもらうだなんてそれは相応に努力してる人間が言うもんだ

こんなときは、笑っとけ。
よく、Gackt氏が言う言葉。

前に入院したとき看護婦さんに、主人を笑わせてもいいですか、と聞いたことがある。
舌の切除をして、首のリンパを取って、歯も骨も取って、筋肉も取ってるから、顔の表情の筋肉を笑いで動かしても支障はないか、という意味で聞いたのだけれど、なぜか看護婦さんは絶句、涙を流した。

・・・いいんですよ、笑わせるのは大丈夫です。笑わせてあげてください。大事なことです。

「出来ないことを挙げ連ねて、泣いても仕方がない、ないものは無いんだから。でも、笑うことは出来る。
 今しかできないことを今しよう。仕事が出来ないんだったら、違うことでやりがいを見つける。 一度、死んだ身だから。」
と よくダンナは言う。 それはもっともな話だね。その通りだと思うよ。
でも実際ホントにそれができているかと言えばね、出来てないよ それももっともなことさ
いいことをいいたくもなる 時にはそんな気持ちにもなる そうでない気持ちにもなる 気持ちって体調によって波打つものだ


主が与え、主が取られたのだ。
主の御名は、誉むべきかな。

とか言ってるけど  なんで・・・・?どうして・・・・?と つぶやく 理解のないやさしくない妻
そんな簡単に 優良な患者にはなれない 優等生ばかりじゃないし きれい事で生きていけないし

しゃーないな



人それぞれに内に宿るものがある。
幼い頃、母は、大きく深く内に宿っていた。逆説めいているが、人は内に宿るものによってつつまれる。幼子のココロに母が宿るとき、幼子は母の温もりの中に優しくつつまれている。

内に宿るものが幸せなものばかりとはかぎらない。
憎しみが内に宿れば、毎日がつらい。
人の心は実にあまのじゃくだ。
思い出したくないものに限って、思い出してばかりいる。
人は、内に宿るものにつつまれるという法則は、憎しみの場合も同じ。

憎しみが内に宿る者は、憎しみにつつまれる。

愛する者が内に宿る者は、愛する者につつまれる。

・・・
人は皆孤独だが、内に宿る人がいる限りは、孤独は必ずしも寂しいものではない。
その孤独には、ひとり静かに泉の畔にいるような穏やかさがある。
・・・
恥多く生きている。罪深く生きている。
ただ、それをだれよりもよく知ってくれている者がいると言うことが、私の救いなのだ。
そう、
すべてを知ってもらっている。つつまれているとは、すべてを受け入れてもらっているということでもある。


「あなた方がわたしの内におり、わたしもあなた方のうちにいる。」(ヨハネ14:20)

・・・師、重富先生の言葉。



友へ。


私が、あなたにとって、まだ、
「道をまっすぐにせよ、と、荒野で呼ばわる者の声」であるといってくれるなら、
あえて、わかっていても、聞いてね。

大切なものを得るために、あるいは得たことで、
大切な何かを失う。大切な何かとひきかえの、人生なのかなって、あなたは言う。
みんな、そうなんだよね。大切なもの失う分量と、得る分量は、誰だって同じ。おんなじなんだもの。
ただ、それに、鋭く、気が付いているかいないだけかなんだと思う。気づかないよりましだよね。
痛みが続いたまま、
自分に刃をたてたまま、まだ、対峙している自分がいることに、
辛くて目を避けたくなることもあるけど、たとえ自分の命を失ったって、その辛さが消えないのはわかってる。聖人じゃないからねえ。
私もね、もう、許したと思っていても、やっぱり、許してない自分がいて、憎んだりする自分がいて、そんな自分が嫌で嫌で。だって、そんなに人間出来てないし。でもね、それは、それも、結局やっぱり自分なんだっていうことに気づかされるだけなんだわ。
だから、

あなたはあなたで、あなたの愛した人と共に歩んで、すべて引き連れて、生きて下さい。
あなたがそれを望んだ通り。
時々は、また前を向くのが辛くなるときがあるだろうけど、そんなときは、いくらでも、下を向いたり後ろ向いたりしてもいいと思うんだ。
前を向くときが来るのを実は知っているあなただから。
大切な何かを失うことで宝を得ることもあるのを分かってても、そんなことしてまで得ようと思わない、なんてつぶやいたりしてもいい。

覚えていますか。あの時、
あなたが死んでしまうのではないかという得体の知れない直感で、
わたしは、あなたに、死なないでね、生きていてね、と、言い続けました。
死なないよお~(笑)って、あなたは言っていましたが、
私は不安で、不安で、死なないでねえ、生きていてねえって、いってました。

しつこく言わずにはいられなかったんです。
あなたにそのとき何があったのかもよく知らなかったけど、失わせるわけにはいかない、そう直感したから。

死なないでね、生きていてねって。死んだって何にもならないさ

私があなたに生きていてほしいと願ったから、あなたは生きなければならない。
それは別にやさしさや思いやりからの言葉ではなく
真剣にあなたが死のうとしていないことがわかっていたからです

そんなやつに簡単に「死にたい」なんて重要な言葉を吐いてほしくない
なにかと引き替えなら、なおさらです。
ね。
そうだよね。



笑っとけ。また、いつか、会ったときには、笑っていようね。