白滝シリーズ 2009.06.30 (火)

下白滝駅  しもしらたき


紋別郡遠軽町下白滝     1929年(昭和4年)8月12日 開業

丸瀬布駅より9・2キロ       旧白滝駅より4.4キロ

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駅名の由来:地名。入植者がこの湧別川を流れる勇壮な『白滝』を地名として用い、
            その下流にあるため、この地区を下白滝としました。
            入植当時名は「滝の下」だったようです。

 
これは、白滝の地にアイヌ語は残っていても、地名として和人が採用しなかったことに由来します。
もともとこのあたりまでの湧別川は、
丸瀬布にあったムリイコタン(武利)と上川のペニウンクルコタンの、「ルペシペ」、峠の道の沢と呼ばれていました。
和人が、アイヌ語の「シ」は「シノマン」ともいい「本当の」とか、「大きい」、という意味なのに、
シユーベツ川を「支」湧別、と当て字したため、ルペシペは湧別川の本流とされたためだといわれます。、ルベシベの名は上川方面にのみ残ります。分水嶺の山をはさんだ両側にルペシペがある地域は多く、アイヌの重要な交通路でした。
そして「ポロ・ソウ」大きいほうの滝、とだけ言われていた白い水しぶきのきれいな「白滝」が一帯の地名になりました。



明治24年、中央道路開削のための仮監があり、
「村名白滝発祥の地」碑の近くの畑から、連鎖が見つかり、囚人の遺骨も見つかっています。囚人墓地があったところでした。


明治42年開拓が始まり、多くの住人が家を構え広く畑を持っていました。
白滝ムラの元教育委員長であられた、太田実さん著による自費出版「白滝ところ処」によると、昭和37年ごろには、鉄道官舎含め、下白滝駅前には20戸もの家があったようです。
現在は、牧場の子牛がちいさな木製ケージの中に入っていて、それがたくさん駅前に広がりそれはそれでにぎやかです。
そこの番犬2匹、走って近づいてきます。フレンドリーです
ほかの場所には離農したであろう民家や、空き地が点在します。



駅前の、鉄道官舎らしきもの。
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他の駅同様、ここにも土場引込み線があり、上りホームと、下りホームがありました。現在もすれ違い可能な複線の駅ですがホームは1つだけです。駅舎はほか同様の立て方で、昔はひさしがあったようですが撤去されています。平成5年には利用乗降客 0

旧白滝同様、遠軽行き1本、白滝行き3本の普通列車が停車します。
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排雪車やマルチプルタイタンパーなどの作業車が常駐していることもあります。


駅の裏には、高規格道路がどーんとのび、トンネルのまぶしい明かりが目に付きます。
白滝発祥の地の裏にある、滝や渓谷を上から鑑賞するポイントは有名な鉄道の撮影ポイント
どの季節も大変美しく 湧別川の流れに沿ったS字カーブを通る列車が新緑、紅葉、雪景色に映えます。


また、高速道路から見る夕暮れの駅舎は、とても美しく懐かしい古きよき駅の姿。
高速道路の上で停まって撮影することはできず、残念ですが・・・・・・・・・

まるでNゲージのレイアウトのよう。残しておいてほしい駅ですね。
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この駅で、奥白滝から五つ続いた白滝シリーズ終点です。


白滝シリーズの資料は、前出の、白滝ムラの元教育委員長であられた、太田実さん著による、
自費出版 「白滝ところ処」を参考にさせていただきました。
丸瀬布の図書館でも閲覧希望すれば、資料庫から出してくれます。

わたしは、奥白滝の入植者のご子孫であられます、大庭私設歴史資料館の大庭智恵子 奥様から、
「全部お貸ししますから、いつでもいいですよ」とのご厚意で見させていただきました。
感謝申し上げます。






さて・・・・・
SLよりも、しもしら。(2009年のこと)



SL常紋号を見た帰り道、下白滝によってこようか、と、眠たがる次男を説き、穏やかなこの駅に寄りました。
SLのイベント、昨年よりはずっと人も少なく人いきれに酔うこともなかったとはいえ、さすがに人の多い場所はしんどい。いい天気に恵まれた日だったので車を止め・・・
「あ、テツがいる」の長男の声。

なかの待合室には、おじさまお二人。長男が声をかけられます。
「ぼく、ちょっとお願いしていいかな。駅の名前のとこで写真を撮って欲しいんだけど・・・」

その景色を撮る私。すごい、こんなにここに人がいる。
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お伺いしたところ、愛知からこられたお二人。
旧白滝からここまで歩いたらしい・・・でも結構いらっしゃいます、そういう人。本数少ないのでね・・・。
昨日から、北海道入りし、「秘境駅巡り」をしていらっしゃるそうで、ご自分で作成された予定表をみせていただく・・・・
おおっ!「小幌」にいってる!・・・・・「小幌」に!!!!!
すごい・・・・
行ったんだ、あそこに・・・・尊敬のまなざしで予定表を見てた長男。


予定表の赤字でかかれた駅名はすべて秘境駅。(あの牛山さんのブログの)
初田牛にもいったようで・・・「でもあそこは全然だめ!っ」ていってました。
今日はこのあと普通列車で上川まで行って、そこからお一人は旭川まで、お一人は北見まで戻り、この日のうちにセントレアまで帰られるそうです。


旧白滝で、ノートに私の書いた文章を覚えておいででした。
地元の方ですか、と聞かれ、
はい、地元に住んでいるテツですとお答えしたところ、ノートに書いておいたこの拙ブログ名を覚えていて下さっていました。「もしかしてMintJamって書いてあった方ですか」と言われ、ビックリ・・・・
ものすごく、恥ずかしい。面と向かってこのブログタイトルを言われるとものすごく恥ずかしい。

ほんの少しだけ、この地域の動植物のことや白滝のことをお話ししただけでしたが、
しみじみいいときでした・・・だって普通列車に乗られる、といってましたけど、あと40分もあるって言うときだったし・・・(汗)
快速きたみとの交換の時間だったので、長男は喜ぶ喜ぶ。

汽車のいない内に、長男、線路などを撮る。
「おお、そうやって、そんなものまで撮るんだ~」と、お二人からお褒め、というか、なんというか感嘆の声をいただきました。
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かつて貯木場があった引き込み線跡。
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「SLだったんだ、どおりで車が沿線にいっぱいいたんだね」と、お二人がおっしゃっていました。

SL常紋号、今日明日(2009年)運行していたの、知らないでこっちに来てたんだ
素晴らしい!SLより秘境駅、SLより旧白滝、下白滝!

鉄道旅行は、コウでありたいね~と、帰り道に内田先生と宮脇先生の阿房列車を思い浮かべ共感するわたしたち親子。


長男曰く、
「今日すごかったのは、下白滝から乗車するお客さんがいたこと。それも二人も。すっげー!」
次男曰く・・・
「愛知の人なんだって!じゃあテレビ愛知、見れるんだね!いいなあ~」
・・・地方局でやってる「トミカヒーロー レスキューファイヤー」、テレビ愛知の制作って「てれびくん」に書いてあったそうな


おふたりが言う、「この趣味はね、大人になってもいい年になってもずっとつづけられるよ」

貴重な瞬間。
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またどこかで、鉄道をキーワードにその思いを同じにするものが、あちこち旅をしている。
交わす会話は、年令関係なく、自分の「鉄道好き度」を話し、自分の持っている鉄道風景を見せ合い、伝えあいをする。
何度この経験をしただろう。そのたびに、何度と不思議な感情がわき上がる。





小さく汽笛を鳴らし西日の中を去っていくキハ40を見おくりました。
そのあとの帰り道、車からその列車を撮る。
窓にはカーテン、お二人の姿は見えなくってもそこにいらっしゃることがわかります

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どうぞ、これからもよい旅を。
ご無事なご帰還を。
ご健康をお祈りします。
また白滝へお越し下さい。




 
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駅に咲く花達。
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SLといっしょ 2009.06.29 (月)
6月も末になってから、滝上、常紋号、登山とてんこ盛りの日々を過ごし、心身共にくたびれています。それぞれにくたびれ具合と、くたびれた場所が違うのが自分でも可笑しい。

なんせ今は昨日の登山のおかげで・・・・体が痛い。
体が痛いと言うことはいいことだ。くだらないことでつぶやいたり悩んだりが吹き飛ぶから、
山は、いいな、と、思う。自分の置かれている状況に深く沈み込んだりしなくていい。
ひたすら、ここ最近の自分と、交わされた言葉と、自分の体力のなさに、正面から向き合う時間でした。

山のことは、また明日。



27日(土曜日)、SL常紋号が遠軽ー北見間を走りました。

おそらくはたくさんの撮り鉄でいっぱいであろう、沿線。
おそらくはもう多くのブログでアップされているであろう、蒸気機関車のイベント。


どこで写真を撮ろうかと息子達と相談した結果、生田原に向かう、生野駅にほど近い一軒のお宅の敷地内におじゃましました。おばさん、ありがとうございます。
誰もいません。穴場です。
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運行スタッフさんが声をかけてきました。「写真撮るんですか?線路に出ないようにね。近すぎないでね。SL止まっちゃうからね。」
去年、線路のど真ん中に立ちはだかり、ケータイをかまえててSLを急停車させた若いギャル風おねーちゃんがいたのを知っています・・・。

テツはマナー守らないと行けません。でないと、来年以降のイベント列車は実現しません。

常紋~生田原~遠軽に向かう、逆向きのC11。
注釈以外はすべて長男の撮影。
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撮影中の長男を撮る。
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私の小型デジカメでの次男の作品。なかなか。
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遠軽駅にSLは10時45分着。
たくさんの人。でも停車時間が昨年より長いのと、2度目の来訪なので、昨年ほど人は混んでいませんでした。
また、駅では作業車(除雪車)展示、鉄道備品や資料、サボなども展示していました。
昨年は間近で見ることが出来なかった転車台にも近づけたのでした。除草してあり・・・JRの意気込みを感じます。
停車中のSLにものすごく近くまで近寄ることが出来、長い時間SLとともに過ごさせていただきました。


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赤い色は、給水用の消防タンク車が映っているため。
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構内に残る、転車台。
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かつては大きな遠軽機関区だった証拠。
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各地からいらしたテツの皆さん、JRの職員の皆さんとも長くいろいろなお話を伺うことが出来、
感謝です。こういう時間が持てるとは思いませんでした。

特に今回特設してあった、旧貨物輸送事務所の建物の中での資料展示場での交流。
北見?のテツのおじさま。
かつて遠軽を走っていたSLや列車の写真をもってきて、見せて下さいました。
写真の除雪車の形式について長男と言葉を交わし、ご自慢のNゲージレイアウト写真を見せて下さいました。
音更のテツのおじさま、Hさん。
名刺までいただきました。この方はご自分の趣味以上に、まず手に入らないであろうとJRの人が言うほどの鉄道用品備品コレクターで、ご自宅で小さな鉄道博物館を営んでおります。
ほうぼうにもテツのご交流がある様子であちこちご挨拶なされていました。


この方とJR職員のお話。
「JRや国鉄時代の鉄道備品などが、この方のところに持ち込まれるたびに、こういうものを納める博物館がJRとしてもっていたらいいのに。いまは鉄道のブームでもあり、こうして市民権を得られているのだから、若い世代にこういうのをアピールして鉄道のよさ、鉄道会社の未来につなげていく努力をしなければ・・・。」


せっかく立派な転車台もあり、豊富な鉄道資料のある鉄道の要所の、歴史ある建物でもある遠軽駅。
十分すぎるぐらいの鉄道一大観光名所となり得ます。
白滝シリーズへの近道、丸瀬布の雨宮号、生田原地区の常紋。
素晴らしい財産です。


遠軽駅の偉いサン、これを聞いて大きくうなずいていました。
そして、今回またSLをここに呼んだ事へのこだわり、情熱を語っておいででした。
そこに長男次男が通り・・・「ほら、こういう子ども達ですよ!」と、そのテツのお方。
ご自慢の写真・・・とくに十勝・根室方面の貴重な車両の、鉄道風景、見事でした。


JRの方々は長男次男に、詳しく長く、鉄道の良さ、機械の仕組み、いろいろと説明していただきました。
喜んで呼び出し電話やライトをいじる次男。
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「将来、JR北海道にはいるのが夢なんです」という長男の肩を叩き、
まってるよ!と、
本当にたくさんのJR職員の方に声をかけていただきました。
・・・なぜなら、国鉄時代の職員の帽子、知り合いの方に2年前にいただいたのを一日中長男がかぶっていたためで・・・「お!それどうした!すごいなあ」と、JRの方に目を留められたからです。
「今はもう、ないんだよそれ。大事にしなね」「いつか今の帽子も一緒にかぶろうね」

嬉しさいっぱいの長男。機械いじり満喫の次男。
皆様ありがとう御座いました。



SLのイベントは、コウであって欲しいと思う、遠軽駅での一日。

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花いっぱいの遠軽駅裏、常紋号停車中にオホーツク入線。
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上の写真を撮っている長男と私を撮る、次男の作品。
次男は、こういうどきっとすることを平気でしてのける。
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207号機はこれからも走るのかな。少なくても常紋はもうSL通ることは無いかも知れないなあ。
という、ご意見がほとんどでした。
いつか、また会えるか・・・・。
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白滝シリーズ 2009.06.24 (水)

旧白滝駅  きゅうしらたき


紋別郡遠軽町旧白滝     1947年(昭和22年)2月11日~乗降場      昭和62年3月31日~駅

白滝駅より6.1キロ

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石北線開通時にはありませんでしたが、付近が発展するにつれて不便を感じた住人が、
乗降場の設置を求めます。旧白滝部落長、旧白滝地区出身の村会議員らが代表となり、
地区住人の署名を持って、昭和21年請願書を札幌鉄道局に提出しました。(白滝村史による)

当時、駅は重要な貨物の出荷・搬入の場としての役目が大きく期待され、
また旧白滝小学校には下白滝地区からも通学していましたが、夏はクマ、冬は雪のため、汽車で区域外の白滝小学校まで行かなくてはならず子ども達は地元学校に通えない。
ぜひ駅を、との願いは実り認可が下り、昭和22年に「旧白滝臨時乗降場」ができました。
ホームと待合室を作ったのは部落住人の協力なのだそうです。



待合室の中から

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昭和62年、国鉄がJR北海道になり、それとともに駅に昇格しました。
遠軽行き1本、白滝行き3本の普通列車が停車します。



駅名の由来:地名。湧別川の『白滝』付近に、最初に開拓者が入ったところ。
        新市街に対して 旧がついた。旧がつくJRの駅は全国でもここだけらしい。



本来、開拓の始まりの地や、もともと発展していた場所を、元、とか本、とかつけるのでは?という疑問。
たとえば札幌や函館であれば元町、本町、ほかに元紋別、元浦川。
もしくは新市街のほうに「新」を冠にする方法、新札幌、新夕張、新町・・・。
私鉄には、旧外国人市街地、のような駅名もあるらしいですが どうしてなんでしょう。まあいいか。


この駅を特急が間近に駆け抜けていく姿は圧巻。でも危険だから近づき過ぎないように。

駅付近には広い畑を持つ農家が数戸と、小学校後があります。
旧白滝神社もありかつてはここで相撲大会なども行われていたそうです。

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駅前の国道を挟んだ農道のさきに、犬がつながれているのを見かけたことはありますか?
ノートには『虐待されている』とか「死んだ」とか書かれたり思われたりしたそうですが、
犬は元気に生きてます。旧白滝の犬として有名な犬は、
向かいのNさんちの農家の犬で、チビ。

母犬と暮らしています。母犬よりでっかいチビですが。農作物をキツネなどから守るためにも、番犬として働いています。前は道路のそばにいたのですが、高規格道路建設のため大型車が行きかい、引かれたら困るから、と自宅倉庫の奥の広場に戻したのだそうです。


かつてチビがいた場所。かつての高規格道路の工事車両出入り口です。たくさんダンプが通ります。
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「虐待してるってノートに書いてあって・・・;」と奥様が困って苦笑いしてました。
旅人が触ろうとしても、知らない人を寄せ付けないので、人間に愛されていないと勝手に思われたのでしょう。
彼は立派な番犬なので、仕事熱心なだけです。




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線路脇には野生のフキ、Nさんの麦畑。
時々ここを訪れるテツがいますが、麦畑の中に進入し踏んでいる人を見かけます。だめですよ。マナーは守りましょう

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白滝駅方面へ。
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2008年の時のSL常紋号旧白滝を通過
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鉄道風景 2009.06.23 (火)
日曜は長男の卓球の試合。
残念ながら・・・長男はデュースまで持ち込んだり惜しいところまでは行きましたが、勝てず、悔しい思いをしました。表情には出さなかったけれど、悔しさが滲んでいました。
部活の他の仲間は勝って9月の全道大会に出られるのに・・・長男ペアのダブルスもだめでしたので、当日は応援、カメラ、ビデオ係。

悔しいと、思っていることが、実は長男にとっては大進歩大成長なんだということは、私たち両親、見に来ていた担任、保護者、仲間、みな思っていましたが。
争い、失敗、負けるとかいうマイナスの感情がフィードバックし、もう二度とマイナス感情を味わいたくないが為にチャレンジをしないという特徴もある、アスペルガーの、傾向を持つ長男の、
「悔しさを糧にしての、次に取り組む姿勢」と
「負けても応援でも部活は楽しい」 は、
本当に、親として嬉しい。
いつか、勝てるといいね。


試合後、休みにきた、次男行きつけのオホーツクタワー。
オホーツク海の潮のかおりは、ムラに住む前はずっと海沿いに住んでいたので安心します。

写真は長男。釣り客のためのガリンコ号ではなく、こっちを選んで撮った。
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帰り道は、鉄分補給。
旧名寄本線、小向駅跡。駅名標が当時の復元で塗られている。
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鉄道林。廃止後20年近くなりますが、かつて本線だったこの道筋はいつまでも残っています。
先人が苦労して敷いた鉄路です。
簡単には埋もれません。埋もれさせません。元紋別方面を望む。
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跡地には小向小学校が建っています。かつては行き違い設備のあった駅。でもこんなに広いヤードは無かったはず・・・・・学校の他にパークゴルフ場。公園になっています。
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切符の、切った跡を模していますね。写真はすべて長男です。
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長男の趣味、Nゲージ。
机の上いっぱいに広がる、Nゲージ改良の、長男の工房。
勉強机だったのに・・・・今じゃおいてあるのは小さな部品、精密ドライバー、背景のストラクチャーを手作りするための学校からもらってきた木材、塗料、のこぎり・・・・・
勉強の時は小さなちゃぶ台を出して床でやってる(涙)それに異様に憧れる次男(汗)
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疲れたときや・・・・とにかく何かあったときは、これに没頭します。当然この日も。
ゲームは二の次。次男にも絶対触らせません。
鉄道の世界に触れることが長男の、まさしく鉄分補給であり、精神安定剤であり、ドラッグでもある。
ノッてきたら、独りで部屋にこもって鉄道用語を独りでしゃべりまくります。

・・・・でも、それでもだめだったらしく、今日は熱を出して学校を早退してきました。


この独り言は、自分で自分の心地よい音声、言葉の響き、リズムを作り出して自分の感覚に訴え。安心するために発していたりします。
発達障害の子に独り言で場に合わないでぶつぶつ言うことが多いのは、たとえばアウエーな場所・・・知らない場所や自分にとって心地よくない場所にいるとき、または自分の苦手なことややりたくないことをしなければならないときや心地よくないことがあったときなどに、自分を安定させ、落ち着かせるためにとられる自己防衛手段でもあります。
自分で感覚刺激を作る。楽しいことがあったときでも出現します。

もちろん、社会的には奇異に映りますので、
TPOの必要性を教えなくていけません。
独り言をつぶやいたりせわしなく自分の体を動かしたりしてもいい場所の確保・・・自分の島、エスケープの場所の保証をし、公共の場所での周囲への迷惑というものは伝えます。
伝えれば、出来ます。

KATOのキロ80。
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これが南部縦貫鉄道車両。
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ついでなので、C58。これはNゲージではなく、40年ほど前の、ダンナの電動おもちゃ。Nのゲージ・・・・だけど。ちなみに背景のストラクチャーは「田舎の駅」というプラモ。
私が作りました。
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そういえば、昨日、今週末に運行される常紋号、C11を北見までDDが回送していました。
遠軽駅付近でそれに会って、びっくり。忘れていました。運んでたんですよね。
C11、相変わらず小さくてかわいらしい。
今年はエンブレムが緑でした。






で・・・・

私も決して長男と違うとは言えない。

観念やら妄想やらの世界に生きてるのか何なのか・・・・
よく分からない言葉を繰り返しこうやってここで発しては、心の安定をはかっていたりするんだから、
おんなじ。ネット上で見つけた、オホーツクの風景、鉄道の風景に、安心したり、入り込んだり。
そうして、自分がその風景の中に入り込んではそこにいる気がして、
何してるかといえば、なぜか、いつも立ちつくしてはその写真の世界にいて、胸を押さえてたり手を空に伸ばしたり。揺らいでる。こころ揺らして憩う・・・のか、ひとり泣く場所を見つけたような。
アタマおかしいなあ、と、思ったりも、自分で思うンダ、このごろ。・・・・・・・・・
私は本当に人とのコミュニケーションが苦手だ、長男のことなどいっていられない。
その場面その場面では上手く立ち回れているのかも知れない。でも、独りになったときのこの苦しさ、不安、痛みはひどい。その理由探しに、その消化に何年かかっているんだろう。
分かっているとは思う。過去探し、過去の出来事のなかで起きたことなんかも十分影響していることも分かる。過去なんて終わったことだし自分の糧だって思える。それがないと自分じゃないのだし。
このダウンの気分を繰り返し味わう、この時を経ないと次にむかえないそのリズムなんだって分かってるのにそれをいつものこととあしらえない、何年かかってるんだろう。ホントにだめだなあ・・・・。








Dear Lord


自分の器にあまる業にあたる私をあわれんでください
私のすべての心配事や迷い事を、あなたに投げかけ、私の働きの成果をあなたにゆだねます
どうか、なやみと不安とともに湧く不意の悲しみと、不平不満にしか思えない怒りを、私が正当化しないように、確かなこころを持たせてください
一日のわざを終えたら、もう一度あなたのもとに還ります
あなたから出で、あなたのうちに生き、あなたのうちに終わります
私に休息と平安をお与えください






流氷のない今、
海の潮のかおりの近くにいない今、
今の私の心の底にある大事な大事な大切な風景。
九州や山陰山陽などの南の鉄道写真達も本当に素敵です。
私の知らない風景ですが、汽車のあるところ私の故郷でもあるような。
故郷へ~汽車の風景



白滝シリーズ 2009.06.20 (土)
白滝駅

紋別郡遠軽町白滝  昭和4年8月12日 開業 起点より82.2キロ

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駅名の由来:地名、村名。白滝は、下白滝地区の湧別川の急流。


白滝の将来はこの鉄路の建設にかかっていると大運動を展開した先達は、
現在の村の姿をどう思っているのでしょうか。
国の政策によって村の産業も変化し、自動車の普及により利用の少ない駅ですが、現在は遠軽方面への通学に利用されていることがほとんどです。それでも、特急の停車する立派な駅。
村は遠軽町に合併しましたが、駅前にある村案内図は、この駅がこの村の顔であった事を伝えています。かつてはここをおとづれる業者や旅人が駅前の旅館を利用していたそうです。
今はもうありません。

駅は、白滝の集落の中心にあり、白滝の顔となるべく開業しました。石北線全線開通時の駅の盛況はすさまじく、白滝村史をはじめ色々な資料に、村の人々の感激を伝えます。

東京日日新聞の記事が村史に掲載されています。
「10月2日午前8時40分旭川発の臨時列車・・・が、白滝駅に滑り込んだ際の異様な感激の爆発は、花火に小学生の万歳に見られた。そしてそこには初めて汽車を見る子どもたちの群があった。汽車とはどんなものと思っていた?・・・この問いに答えて小さい口がいくつも開かれた。「長いものだと思っていた」「煙を吐く箱だ」「早いやっこだね」 ・・・純真な子どもの 眼前にはいまや長蛇のような汽車が横たわっている。
 この子どもたちが生まれない前から陳情に運動に寝食を忘れた先駆者たちの中には、
 その汽車のもたらす文明開化の音を地下で聞いているものも少なくない。
 ・・・栄光よ南瓜線の全通の上にあれ」




昨年の常紋号、試運転の時。
地元小中学生、保育園児が見学に訪れました。
保育園児はびっくり、怖がる子も。はじめてSLを見たという小学生が多かったことに、こっちが驚き。
ちなみに中学生は・・・テツの先生の企画により、総合教科の時間にしてたっぷり時間をとって見ていました。
さすがです、K先生。白滝鉄道愛好会会長。
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駅の開業によって、かつて白滝の商店や業者は今の東区に集中していましたが、駅前に新市街を形成することになります。鉄道官舎にいたっては昭和40年代全盛の頃、80戸以上あり、鉄道職員の集落だけでひとつの自治会が組織されていたのだそうです。


駅開業石北線全通に伴い、遠軽駅は石北線と名寄線の分岐駅としてさらに重要駅となり、昭和7年遠軽機関区(当時は機関庫の名称)と設置、機関車25両(最大39両)の充実を見ました。
白滝駅にも遠軽機関区白滝分庫が設けられます。
関係機関としてほかに、中湧別保線区白滝線路分区、同白滝線路班、同下白滝線路班、
上川保線区奥白滝線路分区、同奥白滝線路班、同上白滝線路班などが設けられました。


北見峠という急勾配の難所を越えるためや保線作業のため、白滝駅構内には2両の機関車が常駐していました。機関車の重連によって峠を越すため、多くの鉄道マニアが集まったそうです。
昔からテツは白滝を訪れていたのですね。

構内には転車台があり、また馬力を生み出すためにも貯炭場があり、給水塔も設置。給水と鉄道官舎のために川向こうの不動山の湧き水を簡易水道として利用していました。
これだけの鉄道施設と、当時白滝の主要産業であった木材や製材を積んだ土場、農産物や肥料、石炭を積みおろす貨物専用引込み線、白滝駅はかなり広い構内と多くの職員を持った駅でした。

しかし、昭和24年ごろから国鉄の「機構改革・合理化」のもとに、徐々に職員の数は減っていきます。鉄道の利用も減っていき、昭和50年にはSLの廃止。
昭和50年4月18日、遠軽~旭川間を最後のSLが走ります。
その後はディーゼル機関車のDL7、DL10に代わります。
石炭のエネルギーから新技術・新エネルギーのDLの導入は、職員の削減の要因にもなり、石炭で潤ってきた鉄道の将来も翳ります。

鉄道利用が減るとともに駅業務の縮小、産業の衰退もあって貨物扱いの廃止。
昭和62年国鉄は民営化され、JR北海道となり、赤字ローカル線の廃止がさらに勧められていきます。そのため、各区の鉄道職員は余り、多数転勤となり、さらに信号の自動化などによって駅は無人化され、現在鉄道職員とその家族は姿を消しました。

遠軽機関区は昭和61年には遠軽機関区は北見運転区遠軽運転市区に変更、
平成元年に北見運転区遠軽派出所となり平成3年廃止。
家族を含めた鉄道職員人口の急な減少は、鉄道のマチに大きな打撃を与えたのでした。

昭和40年の利用乗客数は11万5千人。平成5年で142人。
駅舎は平成元年に改築されて、とんがり屋根の時計塔がついています。駅の待合室にはガラスケースの中に村の特産品が展示されていますが、もう少しの工夫がほしいところです。

無人駅になりましたが、待合室は空調が利き、掃除もきれいにされています。
中越同様、冬期間は線路の除雪など保線のため、駅に作業員が常駐しています。駅事務室の中は広く、宿直もできるようになっています。
冬の間のほうが、かつての鉄道のマチであった頃の活気のある駅がよみがえり、最新の鮮やかな除雪車も常駐していて、頼もしく感じます。
駅は、人が利用してこその駅、鉄路を守る役目を果たしてこその駅であることを再確認させられます。


白滝にくる列車達。
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常紋ノロッコ号。
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作業車。峠が近いので白滝駅に常駐していることが多いです。
これは除雪車。
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マルチプルタイタンパー。
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駅前広場には、「鉄道開通記念碑」が建っています。
地元の土木業者である松本幸次郎氏が発起人となり、地元の協賛を得て、国道沿い三叉路に立てられました。揮毫は、当時開業医であった金医師。国道改良で現在地に移設。
裏面には、「貴族院議員・・」などの、当時開通に尽力したであろう議員さんや町の有力者の名が刻まれていますが、もう、刻んだ跡が浅くなり、よく分かりません。
誰か、知っている人がいたら教えてほしいです。

また、駅前には、入植者である古関勘六さんが故郷の駅にもあったヤナギの木を、自分の第二の故郷となる白滝にも、という思いで4本のしだれヤナギを植えたそうです。
下白滝にも同様に植えたそうですが、機関車の煙にやられ、白滝駅前に2本だけ残っている、
と白滝村史(昭和48年)に書かれています。今はもうないみたいです。

かつてあった、引き込み線の跡。
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