2018 031234567891011121314151617181920212223242526272829302018 05








in my soul









   廃墟といふものは
  「自分の知らない時代を生き 生きつくして 朽ちた建物」を言うのだろうと思っていたけど
  
   現役をよく知っているものも廃墟と呼ばれるようになってきた昨今といったら
   自分もすでに「そこの世界」 に足を踏み入れているんだろなと思う























   そう考えれば 
   自分がまだ生きてる以上 自分の記憶に生きる空間は廃墟ではないんでないか と


   これもまた 勝手に思う 廃校なんかはなおさら



   だってあの 体育館の窓からさす陽の ワックス効いた木の床の温かさとキュッていう感触
   完璧に覚えてるものな




   

DSC_0171_convert_20160624093100.jpg














   たいせつなものは
   目に見えないんだ

   王子さまはそういったけども


   目に見えて魂宿したまま在ることも 場合によっちゃしあわせかもしれない





DSC_0179_convert_20160624093237.jpg












DSC_0182_convert_20160624093432.jpg


















   ヒトの記憶なんて頼りないからね   




DSC_0195_convert_20160624093702.jpg
(緋牛内)













にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

kisyakiha3_convert_20130617123548.jpg




[ 2016/06/25 ] nup-hon-kesh  | TB(-) | CM(2)

過去をカタチに

それが生きて呼吸していた時代を知るモノが、廃墟と名を変えた姿を目の当たりにする事も、
やっぱりトシを重ねた証しと認識しなければなりますまい。
人間の寿命なんぞあまり意識した事も無かったけれど、それは意外に長いのかも知れないし、
それに追いつけないモノの寿命というのが短すぎるような気がします。
鉄道とか、学校とか、堅固に思える公共財ならなおの事です。
そうですね、人間の記憶装置など当てにならないから、
過去をカタチに結んでくれるような「廃墟」たちには、もう少しだけ頑張ってもらいたいですね。
[ 2016/06/29 00:06 ] [ 編集 ]

Re: 過去をカタチに

こんにちは

ちょうど 今朝 
旧白滝駅のちいさな待合室を 町内会のほうで保存する動きがあったのですが それを断念するという記事が
地元の新聞に掲載されていました
JR側から提示された 解体移築に伴う費用が掛かりすぎる とのことでした
旧白滝出身のわたしのおともだちがつい先ほど言ってましたけれども、
あんなちいさな建物 作るより壊すほうがお金かかるなんてね、と
もし 外部の業者ではなくて地域みんなの手で解体して移築する際には息子たちともお手伝いに行こうと思ってたんですが・・・残念です 

 
いつもいつも思うんですけれども
もちろん白滝の各駅舎の廃止のニュースに限らないことなんですが
地方のローカル線の衰退の話題が上るたびに、悲しいとか寂しいせつない悔しいとか残念だとか言う言葉を口にしたら
「民間企業なのだから仕方のないこと、それはもっと前から分かっていたことだろう いまさら騒ぎ立てるなんて愚に等しい そんなことを言う前にもっと具体的に理性的に対処すべきだししてこなかったほうが悪い」というような言葉も必ず(どうしてだかそれはいつも関係者ではないところから、だからどうすべきかという具体策もなく湧き出してる気がして)ついてきて
私はそんなに詳しくはないので何とも言えないのですけれども それにもなんだかちょっと変な、というか
感情レベルではないところでも首をかしげる気持ちになります

ヒトの記憶なんて ほんと頼りないものです
時に飾り立てすぎたり 違うものに置き換えてしまってたり まるっと忘れてしまってたり
好きだった建物に触れるたびに 頼りなくてすまんのう・・・と ちょっとつぶやいてみたりします

[ 2016/06/29 09:29 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する