栃木



















 



  








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佐呂間町栃木
北海道の農風景はどこも似たようなものだから興味を示さないのももちろんあり(うちのダンナなんかはそう)
でもここもそうだけれども足尾銅山の鉱毒罹災を受けて栃木の方々が入植させられた開拓当時はもちろんここも原生林山の中森の中ヒグマの中だったわけで
手作業でこれだけの広さを拓いた先人の苦労と思い 血を流し涙流してここまで来たことを思うと胸がいっぱいになります
自分のちちははも北海道に明治のころそれぞれ定めた地へ入植してきた開拓者の子だし(栃木じゃなくて福井だけども)
どうもどの地に住んでいても何となくその感覚だけはどうしてだかついて回るので
また何度かふらっと立ち寄りたいなと思ってます





佐呂間町栃木←興味のある方はこちら


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[ 2016/07/05 ] 北の風景 | TB(-) | CM(14)

他にも…

こんにちは

たしか旧天北線の小頓別の少し浜頓別寄りに岩手という地名があったような…
新十津川や新成生もそうですし、何れにしても何もない時代に原野を切り拓いた先人には頭が下がりますね
[ 2016/07/05 01:04 ] [ 編集 ]

Re: 他にも…

こんにちは


北海道じゅう、こういった地名は多いですね
こちらの近くには岐阜も難波もあります あの「幸福」駅もアイヌ語と入植団体の故郷地名の合わさったものでした
アイヌ語地名のほかには入植者の故郷の地名、入植者の名前の地名 
いちばんつまらないのは「うつくしがおか」とか「こもれびだんち」とかいう歴史無視した地名ですね

私の親一族は福井県大野市から来た入植者で いまは北斗市ですがそもそもそこは大野町が地名でしたし 
今両親が住んでいる札幌市白石区も入植団体の宮城の白石藩由来
私が今住んでいる地のすぐそばも開拓者団体の長の名が地名についています
そうやって 自分のルートツをたどり 遠く離れた故郷を思い今ここから始めていこうとした先人の気持ちが地名にあるのですから それを簡単になくすのはよくないと思いますね

新十津川は あの十津川の水害の影響を受けて被災者の方々が入植された地
この栃木も 足尾銅山の鉱毒の影響を受け被災者が半ば強制的に移住させられた方々が拓いた地
なんにもない、というか荒れ地と原生林だらけの気候厳しい地に来た方々の多くはその厳しさにこの地を離れたそうです
いまここに残られた方々はそれを乗り越えてこられて この広い農風景を作られたのですから
その道のりは計り知れません・・・

私の父方祖父は30代で事故で亡くなりました まだ幼い妹たちがたくさんいた父は
遺された母と兄姉と祖父母らに農地を託し 自分は高校卒業後札幌に就職して家計を助けたのだそうです
そういう話を聞きつつ祖父母らの畑や田んぼを見て触ってきましたので よりいっそうこの風景が沁みてきます

[ 2016/07/05 08:39 ] [ 編集 ]

こんにちは。

入植した大先輩たちは、故郷の神社から分祀した神様をお連れして、地名も用意してやってきたのでしょうね。私の母の祖父母も福井から入植したようです。母が子供のころ、よく”お前は福井の武士の子孫なんだ”といわれた、と話していました。
栃木のように地名も神社も人も残っているところは、今では少数派かも・・・
北海道は人口に対する神社の数がダントツ日本一、と何かで読みました。人々が去って置き去りにされた神様もいらっしゃるかも知れませんね。

ひとつ、御願いが。旅行前に’北の王鉱山’のなまえ由来を調べたのですが、大正の開鉱当時からの名前ということしかわかりません。
北の王、南の王から由来するのか、それとも・・。ホテルノースキングのフロントで質問したのですが、ホテルの名前が鉱山の名に由来してるとしか。ご存知でしたらご教示ください。
鴻の舞 を調べていたら、しらたき徒然草に誘導されて、納得しました。

もうすぐ夏、最近ハッサク君にお目にかかりませんが元気でしょうか?ヨロシクと

白滝病、進行しているようです。
[ 2016/07/06 11:36 ] [ 編集 ]

こんにちは

jam様のルーツは越前大野市だったのですね。
偶然にも5月に車で大野市を通りかかりました。

大野市は名水のまちとして また天空の城越前大野城で有名でした。

新函館北斗駅に改称される前は渡島大野駅でしたが
大野市からの入植者の方が開拓なされたものとは
知りませんでした。

北海道に行く度に入植された先人達の血の滲むようなご苦労が偲ばれて胸が痛みます。

私の母かたの先祖は現在の大阪の堺市付近から
信長の時代に陸奥に落ち延びてきたらしく
おそらく宗教的理由で逃げてきたのでしょうね。
地名は残っていませんが泉州堺を忘れないという意味で名字が泉です。

[ 2016/07/06 15:37 ] [ 編集 ]

おそらく若佐から入るのが一般的でしょうが、
自分らは道路状況を考えずに、留辺蘂瑞穂から入ったことがあります。
おそらく日露戦争前後に足尾鉱毒の事件で
「救済」を標榜?した移住があったのは聞いたことがあります。
(オリンピックがあるブラジルへ移住したのも
来年?で100年、国はいいとこばっか宣伝しましたが
どこの移民移住も天国ではなかったようです)
開基してから80年以上経つ集落で、小学校の跡なども大きくてわかりやすい
比較的大きな集落なのですが・・・
20年近く経つと、現在どうなっているか見当がつきません。
・・・戦後の集落「浪速」も地名は残っているのですが…みならいかのん

あたいはむずかしいことはよくわかんないけれど、
栃木の日光っていったら「東照宮」なのだ。
資料を見(てもしんぷんかんぷんなのだ)ると、
神社の宝物?に家康のほりもんとか、飛騨のじんごろうの彫刻とか
持ってきたものが安置されているとか、初めて知ったのだ。
・・・それでもクニにかえりたかったのかもなのだつるみん

若佐村は内陸だし、地吹雪すごいし、超高低温だし、
峠では大きな土砂崩れは起きるし、竜巻発生するし、
今も昔も決して安心して暮らしていける地域では
なかったと思うんす。
今でこそ、道東とと中央を結ぶ幹線上にあって、
町内漁業収益をしのぐであろうかぼちゃ・豆類を
中心とした農業実績を上げてるけど、
開拓者の方々がきっと覚悟を決めて次世代・3代目に
託して(成功見なかったかもしれないけど)基盤を作ったことが、
今の国土を作り上げたわけで・・・何をかいわんや
集落・鉄道を含め合理化は仕方ないかもしれないけどさなのす。
・・・なにいいたいんやらなのすゆたか


[ 2016/07/07 13:36 ] [ 編集 ]

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[ 2016/07/07 13:52 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは

北海道には家や土地のしがらみがあまりない風土 とはいえ、
自分の郷里のことは忘れられるはずもなく また 郷里を思えば新天地でも頑張れる
頑張るという生半可なものではなかったでしょうけれども、ここでやっていける と思えたのでしょう

私の両親はクリスチャンですので 神社仏閣に私が興味があるとしてもこの話はなかなかともにできませんでしたが
大事なことは目に見えない とはいえ 目に見えてそこに皆が集い 弱弱しくとも自分本位であってもよすがを置きたい
そう思う気持ちは痛いほどわかります



> ひとつ、御願いが。旅行前に’北の王鉱山’のなまえ由来を調べたのですが、大正の開鉱当時からの名前ということしかわかりません。
> 北の王、南の王から由来するのか、それとも・・。ホテルノースキングのフロントで質問したのですが、ホテルの名前が鉱山の名に由来してるとしか。ご存知でしたらご教示ください。
> 鴻の舞 を調べていたら、しらたき徒然草に誘導されて、納得しました。
>

北の王鉱山は 大正5年に発見?され7年に鉱山の会社ができたそうですね
そのとき その、東洋一ともいわれた金の採掘地である鴻之舞鉱山を、凌駕するほどの鉱山にすべし という気概が
その「北の王」という名についたと 
かつて遠軽町の郷土史を調べていた折に白滝の地元の歴史愛好家さんたちから聞いたことがあります
鴻之舞 は アイヌ語由来の地名ですが おおとりのまい などとあまりにも素晴らしい名前
それを上回りたいとも思うでしょうねえ
いまは北の王鉱山は廃墟となりましたが時折歴史ツアーが組まれたししているみたいです
鴻之舞鉱山、北見(伊奈牛)鉱山、北の王鉱山と このあたりの地質には鉱脈が何かしらあるようですね
そのあたりは地質図を見ていたらよくわかるのですが それを見ていてワクワクもします

はっさくは ・・・とてもとても元気ですよ、いたずら盛りです(汗)
ありがとうございます
[ 2016/07/07 15:00 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは

> こんにちは
>
> jam様のルーツは越前大野市だったのですね。
> 偶然にも5月に車で大野市を通りかかりました。

どうやらそうだったみたいです(^^)
父方祖父母はともに福井の大野からの入植者でしたが
母方の祖父もそうでした 入植地は渡島ではなく日高三石でした
みついしには入植者の出身地の地名はつきませんでしたが、いま新ひだか町となった三石、福井県大野市と姉妹都市らしいです
母方祖母は宮城の仙台出身 
北陸や東北からの入植者が多かったそうですね 我が家一族はまさにそうだったみたいです

 
> 新函館北斗駅に改称される前は渡島大野駅でしたが
> 大野市からの入植者の方が開拓なされたものとは
> 知りませんでした。


諸説あるそうです
アイヌ語由来ということもあると聞いていますが、福井県大野方の入植者団体由来であることももちろん要素になったそうです
いまは北斗市・・・ですが 親族はまだ大野に住んでいますし、北斗市 というのにはどうにもこうにも不慣れですね


> 北海道に行く度に入植された先人達の血の滲むようなご苦労が偲ばれて胸が痛みます。

北海道は未開の地 というよりもアイヌの天地でした
もうずっと遠い遠い物語のような気もしますが 北海道開拓はたかが100年そこそこなんですよね
まだ 父からも母からもまだまだ未開だったころのふるさとのはなしを生々しく聴ける北海道の歴史
記憶できるものは記憶していたいなあって思います
[ 2016/07/07 15:10 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは


> おそらく若佐から入るのが一般的でしょうが、
> 自分らは道路状況を考えずに、留辺蘂瑞穂から入ったことがあります。

瑞穂からのほうがいわゆる「中央道路」の初期の本道にあたるので、こちらからのほうが正しい?のかもしれません

> おそらく日露戦争前後に足尾鉱毒の事件で
> 「救済」を標榜?した移住があったのは聞いたことがあります。

小学校か中学校で、田中正造氏の話を勉強します 鉱毒事件のことを明治天皇に直訴してまで民の救済を願った代議士
まあそのせいもあって谷中の人々は半ば強制的にここに移住させられたのでしょう
当時の北海道入植者の募集はほとんど詐欺ですよね 新天地ほっかいどうには肥沃な大地がある!入植者の土地や住居もご用意します、ぜひ! ... なんてパンフレットに書いてある
でも行ってみたらそこは未開の地で手作業で大木を切り根を掘り・・・熊の恐れもあり衛生上も問題あり
来て見たはいいがあまりの状況と過酷な気候にカマンなんかできっこない 多くの移民が根付かず離れていったのもうなづきます

ルクシ峠の土砂災害により、栃木地区を通っての道央・道東をつながる道路は廃止され新しい高規格道路が出来上がりました
でもそのトンネルづくりにもおっしゃるように竜巻災害で作業員の方が9名なくなっている
そこに立ってみてわかることでしたが・・・ ここは 年中厳しい気候ですね
入植当時はやはり農家さんは稲作を試みるんですがこの栃木でもその試作はあったらしいですね
出来るわけはなく・・・端野地区の稲作がいまも代表農作物となっていることが奇跡のようです

このあと ここはどうなっていくんでしょうね
若佐の学校に通う子供はいるみたいですが その子たちが跡を継いでくれるのか
白滝のように新規就農して根付いてくれる方々がいるのか
広い広い畑が奥地まで続いているのを見るたびに これはいつまで見られるものなのかと ふと 思います
[ 2016/07/07 15:28 ] [ 編集 ]

鍵コメ様 こんにちは

鍵コメ様、こんにちは

北海道じゅうさがしたらまだまだ出てきそうですよね、入植者の出身地の地名
北広島市、伊達市なんて堂々としたものです

北の王の事ありがとうございました
ご案内いただいたブログ拝見しました とてもとても興味ありありのテーマ これからも何度か訪れたいです
人が入植し拓き廃れていく様をあちこちで見かけます これも時代の流れかもしれませんが
そこにそれらがあってそこに人がいた記憶の証というか そういうものを忘れたくないと思う人がいて
掘り起こしていく人がいて 
いつまでもそこに人の気配があったことを記憶していく作業
それに何の意味があるかと言われればはっきりこれと答えは出てこないんですが
知らなかった自分ではなく知っている自分になったのなら 記憶の器として まだまだ訪ねていきたいと思います

[ 2016/07/07 22:36 ] [ 編集 ]

ああ、此処がそのひとつなんですね・・・
去年の夏、足尾銅山に行ったときに
書いてありましたっけ・・・

大変な思いをした先人の方々のおかげで今があることを、
忘れずにいたいものですね・・・
[ 2016/07/08 00:03 ] [ 編集 ]

ありがとうございました

お早うございます。

ご教示ありがとうございました。

先人のご苦労を思いつつ 又 北海道を旅したいと思っています。
開拓も、鉱山も、”鉄道”も。
[ 2016/07/08 08:49 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは

そうなんです
この栃木地区が足尾銅山にかかわる地なんです
神社に記された歴史を読んでも この地の風景を見てたらそこにどんな苦労があったのか
想像するのは難しいものでしたが
この広々とした畑は初めからそこにあったものでも もちろんなく、
木が生い茂っていたのを切り倒し掘り起こしして作られたもの
今の子供たちにそれが想像できるのかなと・・・どうやって伝えようかと思いめぐらせます
知らないことではなく知っているものとして今過ごしているのであるなら また次へと伝えていきたいなと思います
[ 2016/07/09 23:29 ] [ 編集 ]

Re: ありがとうございました

こんにちは

鴻之舞のほうはごくたまに、みたいですが
生田原のほうはツアーなどがあるみたいですよ
開拓、鉱山 鉄道 北海道はどこよりもそれが密接につながった地であること
調べたり知ったりすればするほどよくわかるようになりました
先人が生きていた証というか 気配というか それを記憶していたいといつも思っています

[ 2016/07/09 23:35 ] [ 編集 ]

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